16/Feb/mon

「たいへんだねー、いろいろ。あれもやらなきゃいけないとか、XXもやらなきゃいけないんでしょ?すごい大変だよねー。」


と同僚に言われた。


人のやっている仕事をみんなが気にしている。役割や立場にすごく縛られている。嫉妬やプライドが音もなくぶつかりあっている。みんなが沸々としてる。とても気持ち悪い。すごく自然じゃない。なんだこれ?

できること、やりたいこと、やらなければいけないこと、やってきたこと。みんながそれぞれの立場で、努力したいけど、誰とどうやってなにから進めていいのかを迷っているように見える。リーダーの不在というよりも、リーダーがいない、できない、という構造だから仕方ないことかもしれない。

みんな自分を評価されたがっているし、それぞれの悩みや苦労していることを分かってもらいたいし、不満や苛立ちを隠せない様子。みんなが自分の立場しか考えていないように見える。みんなでも、ひとりでも成功できない仕組みが出来上がっている。足の引っぱりあいもよく見かける。ひとりひとりが同じ方向を向いてないので、成果が出ないのは当然の現象だろう。

どうしたら、どうやったら、成果を出せるか。みんながここを見れてない気がする。だからブレが生じている。みんながよく分からないまま走らされている。先の見えない路を、信用できない仲間たちとゆっくり走らされている。でも急がなきゃいけないみたいだよ、と誰かが確信なさそうに、恐る恐る言い合ってる。

それぞれのできること、やりたいこと、やらなければいけないこと、やってきたことが全ての邪魔をしているんだと思う。誰も、なにも、決めてくれない。でも、求められている。でも、誰になにを求められているかを分かっている人がいない。

うちの会社は先代が一代で築き上げた同族経営で成功モデルがいなくて、褒めて叱ってなだめて愚痴聞いてくれる仕事ができるスーパー上司が居ないし、そういう人が欲しいのも分かる。でも、個人レベルでできること、やれることをやらない、できてないという事実を見ずして評価されたいということはどういうことなんだろう。わたしたちの仕事というのは、数字を出す=お客様の評価と信頼を得ることなのに。そもそもみんな、上司や同僚になにを期待してるんだろう?

どう考えてもうちの会社には他社と比べ優位性もあるし、歴史もあって、信頼を得て評価されてきた。求められるものを提案、提供し続けている。オンリーワンになれる、そう思う。とてももったいない。いろいろもったいない。

会社というものは潰れるものだし、だれも、なにも、自分を守ってくれるという「保証」というものがそもそも存在していない。たぶんほとんどの人が会社や世の中に自分が守られていると勘違いしていると思う。というよりも、これまで気がつかなくてもよかったということだし、たぶんそれがほとんどの人が見ようともしない原因なんだけども。

自分がやったこと、やってきたことで良くも悪くも他人は自分を評価する。やってきたことで判断される。もしまだ持ってなかったとしたら、それをどう持っていたいか、どう関わりたいか、で見られる。やる気、というよりもあり方。どうありたいか?だと思う。それしかないと思う。これには正解も不正解もない。すべて正解だし、すべてが不正解になる。


大人には、生きているだけで責任がそこらじゅうに存在してる。責任を持ちたくない、見たくない、知らない、では済まない時代がとうとうやってきた。しっかり地に足をつけて、立っている場所や周りを見れない人には優しくない人や出来事ばかり出会うようになってきている。自分を守り、育てていく時代の到来です。


本質をしっかり見ろ!大人になれ!自立しろ!って言われてるんですよ。そう、出来事に教えられてるんですね。








今日の(人生の)熟考



自分の志(こころざし)次第で、自分の人生に起こる出来事は変化し続ける。良くも悪くも。
志を高く持っていたい。そういう仲間と生きたい。