19/Feb/fri

こ、こっ、こんばんわー!


今日表参道でジュード・ローに遭遇。しかも美しすぎる子供(男の子3人、女の子1人)を連れてショッピング。
なんか興奮したイギリス人がいるなーとか思ってたら!!!!!!!!

ショッピング中騒ぐ子供たちに躾けなのか、恥をかかせるなとか殴るぞとか言ってた(笑)
たぶんわたしがびっくりし過ぎてガン見してたせいか、スタッフに話しかけている彼から
「ごめんなさい、お話中でしたか、、、どうぞ」と言われ、「いやー、全然大丈夫っス!!!」と動転してアタフタしてしまった。

実物のほうが、120%カッコいいです。お目にかかれて嬉しかったです。
彼の売れない頃の出演作品でクリントイーストウッドが監督した「真夜中のサバナ」をなつかしさから最近Gyao!で見たばかりだった。とあわせて彼の作品はほぼ全部観ているぐらいの大ファンなわたくし。好きな外国人俳優(男性部門)1位は?と聞かれたら、迷うけど彼の名前をあげる。

彼の好きな出演作品は「ガタカ」「クロコダイルの涙」「ロンドンドッグス」「リプリー」です!
ここ何年か前初心に帰って(彼は舞台出身)シェークスピアを演じたりしてて、観に行きたいと思っていたぐらいでしたから!

まだ興奮しています。。。。
あ、禿げてませんでしたよー。念のためお伝えしておきます。植毛かな?
なーんて。


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アレクサンダーマックイーンが亡くなりました。ここのところ数日間、彼の死についていろいろ考えてしまいます。

自殺と発表されたようです。
母親の死の直後だったようで、深く悲しんでいた最中だったようです。賞を受賞したスピーチでも、「家族のため」という言葉を残しているほどでした。彼のブランドホルダーのLVグッチは彼のブランドをどうするか、決めかねているようです。
生前、「自分が死んでもブランドは残して欲しい」と言い残しています。彼の意思とクリエイションを引き継げる存在がいるのかどうか、、、今後の動きが注目されます。時期的にもAWショーの直前だったようで、彼の仕事をもうみることができないのかと思うと残念でたまりません。


彼のデビューコレクションと彼の存在を知ったのが、ちょうどわたしが21歳1994年12月で、ファッションの仕事を始めた頃の思い出ときっちり重なっています。

思い出を振り返ればクリエイティブでエキサイティングでセンセーショナルだったことしか思い浮かばない90年代ロンドンファッション業界。わたしのなかでは1979年〜1996年(ヴィヴィアンウエストウッドがWORLDS ENDのコレクションを始めた頃〜マックイーンがジバンシィのデザイナーに就任するまで)がイギリスファッション界の黄金期だと勝手に思っている。

その後、マックイーンも世界的にもファッション業界は変貌したと思う。クリエイションだけじゃなくてメゾンの売買競争になっていった。2002年に至るまで、どっぷりと日本のデザイナーと働いたので、これ以降のヨーロッパ事情には疎い部分があります。

その空白期は、アントワープ〜ミラノミニマム(〜アントワープ???これ前後する?)ファッションだと大筋で把握している。靴だけはプラダを履いていた時期もあったのが笑える。

マックイーンは彼が影響を受けたであろうヴィヴィアンウエストウッドや、ジョンガリアーノとともに、わたしのイギリスファッションデザイナーベスト3に間違いなく私的殿堂入りしている人物です。彼がガリアーノに憧れていたのがよく伝わってくるのがガリアーノの後にジバンシィを引き継いだこと。



とんでもなく幸運な話ですが、わたしは彼のコレクションを2度(正確には3度)みています。

一度目は、94年のベルファーレのオープニングレセプションパーティー
これを覚えている人も見ている人も相当少ないと思いますし、見た人で覚えている人も少ないと思います。このレセプションは面白く、そしてすごい経験でした。閉店する頃、このパーティーのことを思い出しました。プライベートで行った事なかったけど、、、

スポンサーがついてからも彼の才能は衰えることなく昇華し続けたんですけど、アーリーコレクションはチャレンジ精神にあふれた、エッジのきいた作品が多かったです。同じ頃デビューしたイギリスデザイナーはフセインチャラヤンかなー、今も続けている人といったら。

そして二度目が1996年4月、いまは無き神谷町ボルガにて。彼がヴィアバスストップと取引を開始した年です。ここから彼の知名度、売上ともにワールドクラスになっていきました。
プレスキットには彼のオフショットが含まれていて、かつ花椿の平山さんが寄稿していたりと、彼の仕事が世界的に大きな第一歩を踏み出したのがわかります。



その興奮さめやらぬまま、1996年9月(はじめて)ロンドンファッションウィークに仕事で連れて行ってもらいました。
彼の追悼記事では、「誰もが行きたがり、誰もが入れなかったショー」と書かれていたけど、ほんとうだった。実際に96年のロンドンではチケットを欲しい人たちが会場外に溢れていたし、すごい殺気だった。自分の名前の書かれたチケットで興奮したのを今でも覚えている。



このコレクションは、ランウェイに水をはったコレクションで、溺死した亡き友人に捧げたコレクションでした。(写真はフィナーレのご本人!)
あと、このときのコレクションはのちのちの仕事にも色濃く影響していて(身体を縛り付けるコルセットだったり、手と脚をメタルで繋ぐなどの)彼の色がきっちりかたち作られた、印象的で素晴らしいショーでした。




彼のショーの演出はファッションデザイナー史においてちょっとした事件だったし、90年代以降、イギリスのエンターテインメントとがっちり手を組み、文化になった。彼の仕事を手伝った演出家やDJなど、売れっ子になっているのが分かる。

事件にならなければ、文化にならない。やっている意味がない。と昔ヴィヴィアンがインタビューで答えていた。
最後こんな悲しすぎるニュースで彼の人生の幕を降ろさざるを得ないことが悔やまれるけど、彼のことは一生忘れられないと思う。




ありがとう、アレクサンダーマックイーン!!!