22/Sep/tue

さいたまに住む大叔父が亡くなりました。
転んで下半身のいたるところを複雑骨折し入院して1週間後、木曜日の朝方肺炎で亡くなりました。86歳でした。

大叔父は祖母の弟にあたる人で、満州事変の前に韓国釜山で産まれ、とても勉強のできる人で会社役員まで就任したあと定年退職し、退職後は美術や音楽を愛し、ドイツ語フランス語、英語の本の翻訳、特に心理学が好きでユングフロイトの原書を翻訳するという趣味を持つ多才な人でした。尊敬できる大人でした。

6年ほど前にいとこの結婚式でものごころついてからはじめて会ったのですが、写真と手紙を送ったら返事をくれて、このことをここ数年、たびあるごとにそれを思い出しては元気だろうか、と気がかりだった。

母からこの知らせを受ける電話がなったとき、なんとなくそういう気がしていたのでびっくりした。祖母、叔母、母が葬儀に来る事になった。もちろん、付き添うことにした。

空港から電車を乗り継ぎ、2時間ぐらい電車に揺られながら、みんなそれぞれ大叔父の死を寂しそうだけども、この事情での上京でも、わたしと会えたことで安心してくれていたようだった。

祖母の姿やご家族の姿にとても心が痛かった。でも、大叔父は祖母が葬儀にきたことを嬉しく思ってくれているに違いないと思う。帰りはみんな疲れが出て大変だった。



叔母や母、祖母はたくさんの薬を日常的に飲んでいて、法が許す範囲での立派な薬物中毒患者になっていたことがとてもショックだった。医療機関は、医療を受ける側に対して薬をただ与えるだけではなく、薬を飲むことで受けるリスクや治療までのフローをもっとしっかり教えながら治療に携わって欲しいと思う。中には強い鎮痛剤があり、2週間分を継続処方し続けているようだった。痛いときにはこれを飲むように、と言われているらしい。飲み続けると何かしらの影響があることを母は承知しているのだろうか。聞いたらどうしても耐えられないときだけ飲んでいるから、と言ったが、2週間分出されているということは、継続して飲み続けているということだと思った。


わたしは10年以上前、たくさんの医療機関にかかり、もらえるだけの薬を継続して飲み続けた結果、薬物アレルギーが出た。顔が腫れてきておかしいと思ってかかった大学病院に1年以上通い続けてやっと薬物疹だというのがわかった。市販で買える、その成分の入った薬を知らずに飲み続けると死んでしまう可能性があると言われた。診断されたときにゾっとしたのを覚えている。ひとつの種類で出ると、他の薬や食品でもアレルギーが出やすくなるという。

それからわたしは薬をやたらめったら飲むことをきっぱりやめて、身体の不調に敏感になった。

そうすることによって、口にするものをはじめ、日頃使うシャンプーやボディーソープ、歯磨き粉、食器洗い用洗剤などの成分にとても敏感になった。(こういうものを通じ、体内汚染がすすみ、薬剤を食べていることと同じだから)

たぶん、人は体調不良があったときに通院するんだけど、もしも、自分の望まない結果になるリスクを含む場合、事前にいろいろ説明を受けるのが当然だと思う。

わたしの場合、体調不良があって内科に通院していたんだけど抗うつ剤を勝手に処方されていた。薬を処方され窓口で処方された薬を確認をするときに「鬱病の方の場合は、、、」と言われ、医者とろくすっぽ話しをしてなくて、調子を聞かれるだけの数分のやりとりだっただけにすごくショックだった。その薬を飲まなくなったし、通院もやめた。

そのとき、いろいろストレスは確かにあったけど「鬱病」と勝手に診断されていることもすごくショックだったし、信じられなかった。というよりも信じたくなかった。

自分がどういう病気で、その病気にはどういう症状があって、どういう進行をしていき、どういう風に治療すればいいか、患者はそのステップを全て把握しながら治療を受ける必要があると思う。そうでなければ治療とは言えない。

患者として病院に通院するということは、自分は病気であり、それを専門知識を持った人に助けてもらい、必要であれば投薬もしながら、ゆくゆくは治療したいというのが根底にあって、通院しなければ健康な暮らしがおくれなくなる。健康に問題があって治療を受けるということは、大げさに言えば生活が脅かされる。

わたしはそのとき、あまりにも治療を受けることに対して受け身すぎたと思った。もっと自分の体調に関心を持って、健康な生活をおくれるよう治療する必要があると思った。投薬や医者の助け以外の部分を見直した。不調は数年かかったけど、気がついたらなくなっていた。アロマセラピーに関心を持ち始めたのもこの頃からだった。

どういうサービスでもそうだけど、サービスを受ける側はサービスを受けて得られる事と、もしかしたら失うかもしれないことをもっと深く受け止めて考えなければいけないといろんな経験から思う。誰かにもらえるだけの情報だけ、過信することもなくなったし、疑って、調べて、納得しながら進めて行くというプロセスも学んだ。

たぶんなんとなく不調があるから、仕方なく通院している人が大多数だと思う。わたしもそうだった。でも、不調を好調にするためには、通院や投薬だけじゃない、ひとつの方法だけが必要だと思い込むことをやめた。どうしてそうなって、どうしたいのか、始まりと終わりというか出口を決めてから体調不良があったときは、それに寄り添うようになった。今はやたらめったら薬を飲むことが怖いし、飲むことで必ず起こる他の不調(副作用)が出てくることを知っているから。

たぶん大病を持っている人や大病を患ったことがある人、克服したことがある人は自分の体調の原因と対策をよく分かっている人が多い。それは、自分の体調を意識しながら調整していく日々の管理の大事さを経験から学んでいるから。

身体は必ずサインを送っている。なにかがあったらなにかが起こる。ちゃんと知らせてくれる。無視したら、もちろんだけど症状は大きくなる。

わたしは母に薬に頼ることはとってもリスキーだとだけ言った。ヘルニアもちで腰を患い高血圧の母に薬をやめさせることはできない。けど、薬を飲む事で受ける被害を知ってほしいし、同じお金を払うのならば、自分の納得の得られる良いサービスを受けて欲しい。知識を持ってサービスを受けて欲しい。高血圧や腰痛について少し調べてみたいと思う。何かいい情報があったら教えてあげたい。

まず、ヨガは勧めた。身体が柔らかすぎるので、向かないと言われたけど。




大叔父の葬儀のあと、祖母やわたしたちも一緒に火葬まで同行させていただいた。
大叔父にはおつかれさま、安らかに。と言ってあげた。彼は素敵な奥様と息子さん、お孫さんとひ孫さん大勢に囲まれて暮らし、幸せだっただろうと思います。そう思います。