2/Mar/mon

げつようだけどもうすいようぐらいに感じる23時帰宅



なんか、人のどうでもいいことやなんてことない一言で引っかかるときって調子悪いとき。できる限りの早さを保ちつつも低空飛行。仕事のこと考えてるだけで気が張るからいろんなことがいろいろ引っかかる。集中して自分自身のタスクをこなすことを考えたい。集中力が肝心。







今日の「わたし最近」



92年〜97年ごろまでに知り合った人たちに遭遇することが多い



これはなぜか、、、


「その頃得られなかった何かを得なければいけないとき」


こういうふうに思うわけです
まだわたしは彼ら、彼女たちから何かをもらっていないようです
なにか得られなかったことを得るチャンスのようです
わくわくしますね〜!!!


昔付き合った男たちにも変化があるようです。彼女がいる、結婚した、子供ができた、子供が産まれたらしい、相変わらずでひとり(笑)という話がどこからともなく届く。これも、自分自身の変化だと思ったりする。

昔付き合った男たちとはそれぞれその時代にわたしが思うところの本気で付き合ったから(本気で遊んだ人も含めて)それぞれ幸せになって欲しいし、誰かと一緒に幸せにやってくれていることで、わたしにも影響を与えてくれた人だし、その時その時で間違った人じゃなかったんだよなー、とか思いたい気持ちが大きいのが正直なところ。彼らがいて、今がある!うへへ。。。


同じ時間を過ごしたことのある誰かがどこかへ旅立つとか、成功したり、失敗したり、なにか新しいことを始める(はじめた)とか、元気だとか、元気じゃないとか、仕事辞めたとか、引っ越したとか、、、人を通じて「ただなんとなく」聞くということが多く、どうも自分に入ってこない。たぶん、自分がその人に話を聞いてなかったし、聞く”時”がきたようだ。

最近どうでもいい話をどうでもよく話す人が多いことにがっかりすることも多いし、そもそも、その人じゃない誰かの話というものは、人というフィルターをくぐっているから真実味のない話になりがちで、聞いててもちっとも面白くない。(メディアなんか特にそう。誰かが得をするように「仕掛けられた」話が多過ぎる。)面白くない話のほうが多いと思っている人の話が多過ぎて、この世の中の元気の大半は、こういうメンタリティに吸い込まれて消えてなくなっていってると思う。

心からの言葉は心を動かす。心からの言葉じゃなければ人の心が動くはずがない。だから、みんな疲れきっている。心からの言葉が聞こえないから、心から話すことを恐れている。人は人にしか興味ないくせに、なぜ人に関心のないフリをするんだろう。


聞き手がいてはじめて、話をする人自身が話を理解する手助けとなることをわたしは今まで理解できていなかったようです。今度はわたしが話を聞く番みたいです。聞けなかった、言えなかった話をするための準備が整ったようです!さて、なにから話そうか。